2005.10.08 Saturday
ベトナムからメールが届きました。
この前、ベトナムで連絡もせずに会いに行った、メコンデルタの町ミトーの友人から。前回ミトーを訪れた時、海岸までバイクで出かけたり、メコン河を3時間以上遡って水上マーケットをのぞいたり。その様子は親サイトの『インドシナ紀行』に書きましたが、メコン河のほとりで過ごした幾日は、忘れられない旅の記憶として残っています。
英会話は達者でも読み書きはできないと本人が言うだけ、たどたどしい英文の手紙。けれど、そのぶん気持ちがよく伝わります。アナログな感覚かもしれませんが、海の向こうから届くメールには、僕にはいまだに特別なことのように思えます。
旅を始めた7年前は、まだネットカフェがない時代でした。日本に連絡する時は、時差を気にしながら、電話局か街の国際電話の窓口(バンコクのカオサン通りなどにはたくさんあった)を利用したものです。初めて外国からメールを書いたのは、それこそ4年前のベトナム旅行だったかもしれない…。
以来ネットカフェは世界中に普及しました。中東でも南米でもインドでも、今や日本語入力も当たり前です。この7年の間に世界は確かに進歩した、と思いますが、その一方で頑として動かぬ魅力を、それぞれの国は持っているものです。
いくら世界が進歩しても、その魅力をキャッチできる感性は、磨いておかなければなりません。
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2005.10.04 Tuesday
早朝の5時半、ズラリと並んだマグロを前に、築地市場名物のセリが始まった。
セリ人が、台の上で手にした鐘を鳴らすと、鮮度チェックをしていた仲買人がその周りを囲む。台上のセリ人が、駄々をコネた子供みたいな身振りで一番から順にセリ上げる、仲買人は手やりと呼ばれるサインを送って値を伝える、と、いつの間にか1番のマグロはあっという間にセリ落とされて、続いて2番、3番とまたたく間に買い手が決まっていく。
セリ人と仲買人のやりとりには独特のリズムがあって、日本の魚市場の歴史そのものが、目の前で踊っているようだ。 セリ人が話す言語はいわゆる築地語で、素人には、誰が何番のマグロを幾らで買ったのか、ということさえ分からない。
一本のマグロのセリに要する時間は10秒から15秒くらい。加えて1キロ当たりの値段で取引されるのが決まりだから、果たしてそのマグロが一匹で幾らなのかは、ますます分からない。
2001年正月の初セリで、220キロのクロマグロが、キロ当たり10万円すなわち2200万円でセリ落とされたことがあった。日本のマグロ狂を世界に伝えた出来事だが、バブルの時代には一匹500万、600万ということも珍しくなかったらしい。
すると、今僕の目の前に並ぶ40匹ほどのマグロは、庭つきの豪邸が建てられくらいの値打ちがある。
今の東京で“アジア”を感じる場所はそう多くないが、世界中から毎朝大量のマグロが押し寄せる築地のセリ場には、今日もアジアの熱気が満ちている。
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2005.10.02 Sunday
「日本の商品はとにかく何処に行ってもあります。けれど、日本という国は、ホント知られてないんです。どうしてだか分かりますか?」
『ウーマンズフォーラム魚』の代表をつとめる白石ユリ子さんは、間をおいて、ひとわたり聴衆を見廻しました。
「外国に行く日本人が、文化を語れないからです。皆さん文化を知らなさ過ぎます。自分の国のこと聞かれて語れない、こんなの日本人だけですよ。」
文化といえば、まず衣食住のいずれかに属するはずで、それからすると日本は「魚食文化」の国だと、白石さんは言います。
さらに「まわりをぐるっと海に囲まれて、5キロごとにひとつの漁村があるのは他に類がない、世界に誇るべきことなのに、海と猟師を粗末にして、日本は魚の半分以上を外国から買っているなんて、どう考えてもおかしいじゃないですか。魚を食べる日本人は、そんなことは無関心なんです…」日本中の漁村を歩いてきた白石さんの言葉は、聴衆を惹きつける力があります。
白石さんは若いころ、さかなのイロハを近所の魚屋で教わったそうです。素材の特徴から料理の仕方まで、教わったことは今でも忘れられないといいます。商店街の魚屋は今や風前の灯火、「魚食文化」には触れるべくもなく、スーパーでパック入りの切り身を買うのが、今の日本人です。
その切り身を見せられて、元はどんな姿をしているかと聞かれると、僕には全部答える自信はありません。もちろん、魚料理ひとつ、満足に作ることもできません。「魚食文化」を受け継ぐ日本人としては、何とも恥かしい話です。
とにかく安けりゃいい、足りない時は買ってくればいいと、のん気に構えているうちに、日本の自給率は4割に落ち込んでしまいました。そのくせ狂牛病に怖じ気づいて、「食の安全」は大事だぞと、にわかに気を引き締めています。
何事も刹那的な世の中。日本の食を思うなら、今に伝わる「魚食文化」を見直す必要があるのかもれません。
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2005.09.28 Wednesday
外国を旅していると、思わぬことで日本との違いに気づくことがあります。新聞やテレビが絶対に教えてくれないこと、それでいて、その国と日本との違いが如実に表われていること。旅は、そうした身近な違いを知ることの連続です。
僕がはじめて一人旅をしたのは、アジアで最も貧しい国のひとつ、ネパールです。最初の旅だけに、その時のインパクトは、今でもひときわ大きく残っています。大通りを闊歩する水牛、排気ガスが充満するデコボコの往来、誰彼となく声をかける物売り…。見るものすべてに驚いた、忘れられない体験です。
さて、僕が最初の旅で感じたかの国の「貧しさ」はたくさんありますが、それを特に実感したのが、店でもらう買い物袋。日本でいうレジ袋のことです。日本で出回っているレジ袋と比べて、ネパールの買い物袋のなんと弱いこと。缶ジュースの2本も入れて持ち歩けば、すぐにノビてしまうようなシロモノです。
普段スーパーでもらうレジ袋には、日本の豊かさが表われています。と同時に、カトマンズで手にした買い物袋には、ネパールの抱える切実さが出ています。レジ袋のような些細なものにまで金をかける日本と、そんな些細なことには金をかける余裕のないネパール。
たかがレジ袋ですが、そこに、埋めようのない大きな隔たりを、僕は感じるのです。
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2005.09.24 Saturday
東京ビックサイトで開かれている「旅行博」に行ってきました。世界110カ国から政府観光局が来てPRをするほか、旅行会社、航空会社がブースを作って情報を発信するイベントです。海外旅行好きの日本人らしく、広い会場はものすごい人出でした。
今年行きそびれたインドのブース内では、ちょっとした広場を作って、大音量の音楽で庶民的な踊りを披露しています。どこからか漂うお香の匂いに、遠いインドの光景が甦ります。
去年マハーバリプラムに行ったのは、ちょうど祭りのある時期でした。祭りの夜に、ベンガル湾に面する砂浜にステージを作って、地元の若者が入れ替わりダンスを踊るイベントがありました。インド音楽のことは詳しく知りませんが、日本の演歌でいうこぶしのような、妙なヒネリがフレーズごとに利いていて、ダンスをするのには向いています。インドの映画といえば、見せ場はダンスと決まっていますよね。
中近東のブースでは、イランの情報が充実しています。観光地には事欠かないイランは、地域によって、様々な旅ができます。去年の地震で崩壊したバム遺跡は惜しいことをしましたが、ペルシアの都イスファハン、世界遺産ペルセポリス、イスラムの聖地マシュハド、高原の町タブリーズ、文化都市シーラーズ…。2、3ヶ月かけないとまわり切れないほど魅力的な国です。
それから気になったのはイエメンのブース。中世アラビアをそのまま今に伝えるサナアには、いつか行ってみたい。シリアのダマスカスや、同じシリアの石鹸で有名なアレッポのスーク(市場)は興味索然たるものですが、サナアのスークもきっと面白いでしょう。
何回も旅をしたつもりで、知らない国は、まだまだたくさんあります。これからどれだけの国を、自分の目で見ることができるかと、想像ばかりが膨らみます。
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2005.09.21 Wednesday
まもなくクールビズ終了です。今まで何度か試みて定着しなかった軽装キャンペーンは、総選挙中も総理みずからクールビズで戦うほどの徹底ぶりで、すっかりおなじみになりました。地獄のような夏を、少しは快適に過ごすことができたと、世のサラリーマンにもおおむね好評だったようです。
クールビズ成功に気を良くして、次はウォームビズだと、政府は言い出しました。クールビズはそもそも温暖化対策だそうですが、温暖化対策ならウォームビズはその4倍以上の効果があると、環境省は言っています。実は、1ヶ月も前にロゴマークを決めて、準備は万端ととのっています。HPでは、クールビズと並べてPRに努めています。某シンクタンクも、クールビズをはるかに凌ぐ経済効果があると言っています。
2匹目のドジョウを狙ったこのキャンペーンが、ヒットするかどうかは分かりませんが、僕の職場に、霞ヶ関から協力の依頼があることは確実です。そうなれば室内の気温は20℃にして、政府に倣って「ウォームビズ」を奨励することになるでしょう。
けれど、クールビズさえおぼつかないサラリーマンにとって、ウォームビズとは無理な注文です。クールビズに取り組めと言われてネクタイを取るにとどまった人が、ウォームビズをせまられてどんな衣装にするかは、悩ましい問題です。
クールビズ去ってスーツの季節が到来するのが楽しみですが、ウォームビズのゆくえも気になるところです。
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2005.09.20 Tuesday
「吉田松蔭がこう言ったそうです、人間には5つの力が必要だ、念力、信力、精進力…」とかなんとかいいながら、今回衆議院に復活した鈴木宗男氏がトレーニングをしている姿がテレビに出ていました。宗男氏いわく、その5つの力に、僕は体力を加えたい云々。
宗男氏が復活したことについてはともかく、体力はどうしても必要だということを、僕は最近つくづく感じています。体力は、ただ寝て起きて会社に行ったくらいでは落ちる一方で、歳をとるごとに、それは加速します。初めはよもやと思いますが、やがて衰えは隠せなくなります。
月曜から始まる一週間が、木曜くらいには何だか辛いと感じるようになったのは、もう3年も前のことです。出勤するのが辛いのはきっと暑いからだろう、涼しくなったら楽になるだろうと思っていたところ、秋になっても冬になっても変わらずじまい。以来、僕は体力の衰え知りました。
宗男氏ではありませんが、体力は身につけるものだと考えて、僕はジムに通っています。もう8ヶ月になりますが、通いはじめてから一週間が楽にこなせるようになりました。
本当はあんなところに行きたくはないのですが、歳をとるにまかせていては、好きなスーツも着られなくなる、ハードな旅はできなくなると、いやいやながら、僕は体を鍛えています。
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2005.09.07 Wednesday
このブログの親サイト『手紙』の中で、以前「インドシナ紀行」を連載したことがあります。本来はインドシナ半島全体を指す言葉ですが、4年前に行ったベトナム旅行で書いたものを、このタイトルで掲載したものです。
西インドの旅がご破算になって、さてどこの国に行こうかと考えて、最後に選んだのはベトナムでした。聞けば、この4年間でホーチミンの町は大変貌を遂げたと言います。大通り沿いには高いビルが林立し、ブティックやレストランがいたるところに開店した、あの煤ぼけた国営百貨店は、大改装を終えて華やかにオープンしたという噂です。
ベトナムは社会主義の国だが、そのイメージは大きく裏切られるだろうと、最新のガイドブックは予告しています。『ASIAN JAPANESE』の小林紀晴は、著書の中で「アジアの町は動、ヨーロッパの町は静」と言ってアジアの魅力を語りますが、最も激しく変わりつつあるのはベトナムかもしれません。
アジアの国々が、日本人には想像ができないほどのスピードで進歩していることなら、日頃のニュースで聞いています。その熱を体感するために、明日から、ホーチミンとメコンデルタの港町を歩いてきたいと思います。
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2005.08.30 Tuesday
カカア殿下のふるさと、群馬の前橋に出張に行ってきました。普段は東京の永田町にいて、外に出ることはほとんどないのですが、今日はめったにない遠征。遠征といっても、会議に出て難しい顔をして座っていればいいんですが。
でも今日は、ひとつ大きなお役目が…。
お偉いさんが出席する会議で、お偉いさんの代理で出席して、お偉いさんのメッセージの代読を。何でお前のような若造が?と質問が飛んできそうですが、なに上司が逃げたのです。だって変なこと突っ込まれたら困るもの…とは言わなかったけれど、上司の顔にはそう書いてありました。
「代読」するメッセージは、今日のような場合、お偉いさんから預かってきたことになっていますが、何を隠そう(実はみんな知っていますが)僕が書いたものです。だから本当は代読じゃない(笑)。
今日のような、「○○協議会定例総会」というような会議は、初めからシナリオが決まっていて、全て「異議なし」で通ってしまいます。僕が担当でシナリオを作るときは、「異議なしの声」の文字まで入れる。「異議」が出そうな時は、事前に根回しをして問題を処理しておくのが普通です。これを称して、この世界では「会議の円滑な運営」と呼んでいます。
茶番じゃないかと言われそうですが、それなりに良いシステムなんですよ。誰も恥をかくことなく、人の話を聞かないホリエモンのような奴が突っ走ることもなく、「みんなで決めた」という極めて日本的な合意形成がはかれるのだから。ただ、事前の根回しが必要なところに、陰の黒幕が現れる要素はありますが…。
幸い妙なツッコミもなく、今日は無事お役目を果たしてくることがありました。
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2005.08.27 Saturday
9月前半に予定していた西インド旅行が、飛行機の欠航でダメになってしまいました。
シンガポール乗り換えで、グジャラート州アーメダバードに向かう行程だったのですが、帰りのアーメダバード−シンガポール間のフライトが突然のキャンセル。旅にトラブルはつきものですが、飛行機のキャンセルは、さすがに予想外でした。
日本ではあまり耳にすることはありませんが、アーメダバードは400万人の人口を抱えるインド第5の都市です。イスラム教徒が多い町で、モスクなどのイスラム建築もよく見かけるとのこと。
ここから列車で4時間くらい北上したアーブ山という場所には、ヴィマラ・ヴァサヒー寺院と呼ばれるお寺があります。名著『インド建築案内』の中で、神谷武夫氏が絶賛するジャイナ教寺院。繊細な神々の彫刻が、天井や柱や壁にびっしり掘り込まれた様子は、まさに圧巻!何だか負け惜しみを言うようですが、いつか必ず見に行きたいと思います。
さて、西インドの旅は中止になりましたが、新たな計画はちゃんと用意してあります。その話はまた次回…。
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