2005.08.25 Thursday
仕事で打ち合わせが始まって2時間、眠気をこらえながら、
ふと、今日が誕生日だったことに気がつきました。
8月下旬は夏休みの時期なので、
この日は旅をしていた年もありましたが、
今年は台風の迫る東京で向かえる誕生日です。
三十代になったら何か変わることはあるだろうかと、
若い頃はいろいろ考えるものです。
三十代になったから何かが劇的に変わる、ということはありません。
ただ、その時ごとに、やっておくべきことがあるのだろうと思います。
旅先で出会う日本人は、数年前から、自分よりも若い人ばかりになりました。
旅をするのに何より必要なのは体力ですが、
いつ出かけることになっても困らないように、
体力作りは続けていきたいと思っています。
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2005.08.22 Monday
埼玉県の入間川の支流に、名栗川という小さな川があります。今年の1月1日に、隣の飯能市と合併して、今その名はありませんが、この流域には名栗村という人口2700人の小さな村がありました。「西川材」が特産で、視界の先に連なる山々には、きれいに枝打ちされた杉やヒノキの林が行儀良く並んでいます。
夏の日射しが照りつける日曜日、その名栗川に、職場の仲間とバーベキューに行ってきました。東京の近郊にもこんな場所があったかと思えるような緑に囲まれた場所で、川のせせらぎを聞きながら焼くバーベキューの味は格別。息の詰まりそうな都会から、自然を満喫しようと訪れた家族連れがたくさん来ています。
高校生の時、授業で「川で泳いだことのある者いるか?」と先生に言われて、そんなの普通だろ、と思って手を挙げたらクラスで4人だけだった、ということがありました。僕の実家のある地域は山形でも有数の豪雪地帯で、幼いときに山や川で遊ぶことは当たり前でした。山形市内の高校で水道の水が飲めなかった、というくらい水がきれいな故郷を持ったのは、幸せなことだと思っています。
故郷なら日常できる「自然体験」を、都会に住む今は、そのたびに長い道のりをわざわざ車で出かけてやっています。バーベキューに限らず、スキーをするにも、星を眺めるにも。
効率性ばかりもてはやされる昨今ですが、せめて、都会人にリフレッシュの場を提供してくれる日本中の「ふるさと」を、大切にしなければなりません。
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2005.08.18 Thursday
航空機事故が続いています。おとといベネズエラでウェスト・カリビアン航空機が墜落、150人以上が犠牲になりましました。
どこの国の飛行機が安全で、どこの国の飛行機は危険かという情報は、どれくらい信用できるのか。日系の飛行機は安心、途上国の飛行機は怖い、というイメージはどうしてもつきまといますが、先週のキプロス機墜落、エールフランス機の着陸失敗、JALのトラブル多発と、先進国の飛行機事故も、最近は目立つようです。
機上の人になったら命を預けるしかない、と思いながら、僕はいつも飛行機に乗り込みます。途上国の旅が多いだけに、ロイヤルネパール航空、インディアン・エアラインズ、ガルーダ・インドネシア航空、マンダレー航空、ボリビア航空、イラン航空…と、普段なかなか乗れない飛行機での旅もありました。
銃を抱えた兵士のチェックを受けて、ミャンマーの国内線マンダレー航空のプロペラ機に乗って、気の抜けたコーラを飲むのは気分の良いものではないけれど、無事でさえあれば、それはかえって良い思い出になるものです。
4年前の「9.11」、ニューヨークの世界貿易センタービルが崩れ落ちる映像を観たのは、南米旅行から帰ったその日のことでした。たった20数時間前に利用したフロリダ半島のマイアミ空港から出たアメリカン航空機がテロに使われた、というニュースは衝撃的でした。そのアメリカン航空機に乗って、台風の吹き荒れる成田に強行着陸した時は、先進国の飛行機だからと妙に安心していたのですから。
未知の国への一人旅は、何度行っても不安が消えません。現地で立ち往生しないように、旅人はいろんなリスクを想定して準備をするものです。でも、飛行機事故だけはあきらめるしかない。いつか大地震が起こるに違いない東京にいるよりも安全だ、くらいに割り切って、快適な空の旅を楽しみましょう。
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2005.08.16 Tuesday
わが社での突然のクールビズ解禁から、はや二ヶ月が過ぎました。梅雨も明けて、いよいよクーズビズたけなわ!ということで、遠慮がちにネクタイをはずした同僚や先輩方も、そろそろ「クール」に変身するだろうと、僕は予想していました。
梅雨が明けようが、各局のお天気お姉さんが、朝からノースリーブで「今日は酷暑です」と予報しようが、冷房の設定温度は28度以下になることはありません。僕は、梅雨も明けないうちからチノパンにポロシャツで出勤していたわけですが、いまだに周囲はネクタイをとっただけの「酔っ払いスタイル」がほとんどです。数少ない若手が、せいぜいボタンダウンシャツやカラーシャツを着ているくらい。
貧乏旅行が趣味、というだけで、僕は社内の「変わり者」に違いないのです。が、期間限定でスーツという制服を脱いで、自由に仕事時のスタイルを楽しもう、という発想が、ここんなに「変わりもの」だとは思いませんでした。
同僚諸君は、「今日は出勤か?」と皮肉ったり、「何だかニートみたいだな」と笑ったり、「随分涼しそうだな」と羨ましがったりしていますが、僕は「常識の範囲内」で行動しているつもりなのです。
暑い暑いと言いながら、頑なにYシャツで出勤する同期の仲間に、「ポロシャツは涼しいぞ」と勧めたら、「そこまでの勇気はない」とという答えが返ってきました。レールから外れることを恐れるサラリーマンの本音を、何だか聞いたような気がします。
まだまだ夏真っ盛りですが、涼しくなってから、バーゲンで買った新しいスーツに、お気に入りのネクタイを締めて出勤することが、僕は今から楽しみです。
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2005.06.17 Friday
僕の職場でも、今週から、世間の風に倣ってクール・ビズ解禁となりました。回覧されたお知らせには、アロハシャツ、ランニングシャツ、短パン、ビーチサンダル(!)の他、著しく常識を逸する服装以外は着用お構いなし、とあります。
突然のお達しを読んだ同僚諸氏は、概して歓迎の色をみせながらも、困惑するところがないではありません。
Yシャツにネクタイは一種のユニフォームです。みんなと同じスタイルで、上司や先輩の言葉に従うのが立派なサラリーマンだと思っていた人に、「明日からクールにキメてこい」とは無理な注文です。困った末に、スーツに変わる「クールビズ・ビズ・スタイル」という名の新しいユニフォームをほしがっている人が、あるいは多いかもしれません。
先輩や上司に遠慮せず、僕は、これ幸いと解禁初日からクール・ビズを実践しています。妙に遠慮した、ネクタイをとっただけのYシャツ姿は、単にみっともないだけですから、いわゆるトータル・コーディネートを楽しむつもりです。この機会を利用して、つまらぬ上下関係など気にせずに、粋なクール・ビズを目指そうと思っています。
「みんなと同じ」が尊重されるサラリーマン社会で、お前のような若輩が目立ったことをして大丈夫かと、憂うる向きもあるでしょう。なーに心配はいりません。僕のような者が、2人3人と増えるうちに、みんな雪崩を打って、「俺もクールにしてみよう」と思うでしょう。「みんなと同じ」でいたい彼らがそう思うまでに、あんまり長くはかからないでしょう。
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2005.06.11 Saturday
「旅のすきま」と題して始めたこのコラムも、連載して1年と1ヶ月が過ぎました。
次々書けるだろうと思ってタカをくくっていたのが、あーでもない、こーでもないと悩む間に、更新はいつも遅れがちです。仕事と趣味を分かつのは、依頼と〆切の有無だそうですが、仮にも読者がいる上は、もう少し〆切を意識する必要があると自戒しています。
さて、「旅のすきま」とは我ながらうまいタイトルをつけたものだと、密かに僕は思っています。サラリーマンになり立ての頃、僕は、先輩サラリーマンの視野の狭さに驚愕して、あんな大人にはなりたくないと願ったものです。したがって、職場に通う日常は「旅と旅のすきま」にすぎないと、このコラムで、暗に宣言したつもりです。
根っからのサラリーマンは、自分がサラリーマンであることに、迷いはありません。昼は他人から命じられた仕事に没頭して、夜は同僚や上司との付き合いに興じて月日を過ごすうちに、彼らはやがて吾を忘れていきます。日常起こる出来事や社内のルールは、本当は瑣事にすぎないのに、吾を忘れてしまった一群は、これに異変があればスワ一大事と色めき立ちます。
社会人になってまもなく、僕は、周りの人々の、流言飛語に余念がないことを発見して、この世界はうさん臭いと思ってしまったのです。社内や部内を揺るがす大事件は、よーく見ればただの茶番に過ぎないことが判ってしまったのです。
あれから6年。僕は一人前(?)のサラリーマンになりました。そして、旅のすきまからその茶番を眺めては、肚の中で嗤っています。今後は少し〆切も気にしながら、旅のすきまに出会う様々な茶番を書いていきたいと思っています。
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2005.04.06 Wednesday
山本夏彦翁が、昔、公務員を称して腰弁と言ったことがあります。「腰弁」は腰弁当の略で、謂う心は、覇気も野心もない小役人というほどの意味だそうです。
僕の勤務する職場は、東京の永田町にある任意団体で、役所の親戚のようなところですから、夏彦翁のいわゆる腰弁が寄り集まった職場です。そういう僕も、紛れもない腰弁の1人です。
毎朝決まった時間に出勤して、決まった仕事を決まったルールに従ってこなしている腰弁に覇気も野心もないことなら、誰あろう腰弁の一味である僕はよく知っています。人間覇気も野心もなくなると、瑣末な事柄が、さも大問題のように思うのは無理からぬことで、瑣末な事件に一喜一憂して年々過ごしていくうちに、瑣末なことが瑣末でなくなっていくこと、周りの様子を見れば明らかです。いずれの腰弁も、日々勃発する些細な出来事に夢中になって、たまには僕もその渦中の1人になって、来る日も来る日も明けていきます。
生涯、人を使うばかりで使われた経験のなかった祖父が「そんなところで仕事をして面白いか」と、僕に訊いたことがあります。腰弁の巣窟たる我が職場ほどつまらないところはないと、あるいは考えていたのでしょう。
50年来の政治家だった祖父は、腰弁とは正反対の、覇気の塊のような人で、常に天下国家を論じて腰弁に甘んじている僕を啓蒙しようとしたのかもしれません。古今東西をあまねく視野に収めた祖父の口話を聴く度に、僕は井の中から引きずり出されて、大海を泳ぐような想いをしたものです。
僕はその祖父を尊敬する孫ですから、腰弁に囲まれて仕事をしていながら、また自らも腰弁でありながら、その流儀とは意を異にすることが、実はないではありません。けれども大事件を瑣末だと言っては角が立ちますから、瑣末なことでも、さも大事件に出くわしたらしく、大げさに驚いたり笑ったりしています。そして肚のうちで、腰弁らしからぬ覇気を養っています。。
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2005.03.24 Thursday
漱石の“猫”なら、麦酒に酔った末に烏の勘公が行水に使っている水がめに落ちて死んだはずだと、名作「猫」を読んだことのある人は誰でも知っているでしょう。それが、三十有余年の後にその水がめから這い上がってきて、ドイツ語教師五沙弥先生の家に住み込んだらしいということは、知らない人の方が多いかもしれません。
『贋作吾輩は猫である』を書いたのは、漱石の弟子、内田百??。近代日本文学の金字塔『吾輩は猫である』に、堂々と「贋作」の字をつけたところが気に入って、僕はこの本を手にとりました。“贋作”を読むのだから、“真作”にも敬意を表さずばなるまいと、“贋作”の前に漱石の「猫」を読み直しました。
十数年ぶりに味わった「猫」は、日本語の深奥を余すところなく発揮した、文字通りの傑作です。漱石は英文学の教師ですが、多くの漢詩を遺しているとおり、英語などより漢籍の修養が深い人で、「猫」のリズム感と泉が湧くような言葉の数々は、現代作家にはちょっと真似のできないものです。
水がめの中で三十数年を過ごして、再び人間世界に戻ってきた猫は、さすがに年の劫で穏やかに構えています。漱石の猫は、人間以上の見識を備えていると自ら恃んで、人間界を痛烈に風刺しますが、百??の猫は五沙弥先生と友人達の会話をのんびりと聞いている風です。時々、漱石の「猫」の場面を回想するシーンがあって、百??の“真作”に対する敬意が読み取れます。“真作”を読んでから“贋作”に向かうと、味わいがより深まるようです。
学生時代、大学の図書館の前に住み着いた一匹の猫がいました。野良のくせにまるまると肥えていた彼は、来る人来る人に猫なで声で食べ物を求めては、もらえないと解ると途端にそっぽを向いて去っていきました。
人の言葉は喋りませんでしたが、彼も腹のうちでは漱石の猫のように、人を見下していたのかもしれません。
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2005.03.14 Monday
先月職場で歯科検診があって、君には3本の虫歯があると宣告されました。三食の後の歯磨きは欠かさないでいても、虫歯の禍を免れることはなかなかできないものです。診断書には、早々に治療を施すべしとあるばかりか、ご丁寧にも診断した歯医者のパンフレットがついています。
好き嫌いは少ない僕もタバコと歯医者は大嫌いで、この二つだけは、できれば遭遇しないで一生を過ごしたいと思っています。しかし、虫歯は放っておいても悪化する一方で、治ることは絶対にないと脅されて、僕は渋々歯医者通いを決意しました。 まずは予約をせずばなるまいと、恐る恐る受話器を取りました。電話口に出た助手のお姉さんは、一大決心をして電話した患者の心中など気にも留めず、「今日にもお出でください」と、さっそく無理な注文を突きつけます。即日からの出頭はご勘弁願っても、1週間の執行猶予は矢のごとく過ぎるもので、結局僕は俎上の鯉になる運命を免れません。
あそこの歯医者は優しいし、助手もなかなかの美人だと、僕は兼ねてからこの医院の評判を聞いていますが、治療が始まったら最後、そんなことは頭から吹き飛んでいます。そういえば、横のテーブルには恐ろしげな道具が幾つも並んでいた、今先生が助手に要求したのはどんな器具だろう、そんなに削っては神経に達するのではあるまいかと、気もそぞろになって脂汗が流れます。30分たらずの治療時間は無限にも感じられて、いつまで経っても終わる気配がありません。
長い長い治療の後に、拷問台ならぬ治療台から解放されて、僕はフラフラと起き上がりました。3本の虫歯中1本の治療もまだ終わらないのだから、この先何ヶ月かはあの苦しみが続くでしょう。先生がいくら優しくても、ちょっと美人な助手がいても、歯医者通いはやっぱり嫌なものだと、僕は改めて感じています。
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2005.03.03 Thursday
現代の若いサラリーマン中、出社後に朝食をとる割合は、今や何十%に上るという記事を、最近見かけることがあります。街のコンビニはそれをあてにした商品を並べて、ドリンクコーナーには、わざわざモーニング用と銘打った缶コーヒーまで売り出しています。あまり目につくものだから、すっきりしない朝などには、その類の缶コーヒーを僕も買って飲むことがあります。
若年の頃、僕は朝めしが苦手で、食パン1枚をようやく口に押し込んで学校に通っていました。食事中しばしば意識がとんで、ほら動け、と祖母に言われてはっと我に返ることを繰り返していたものです。
三つ子の魂百までで、長じて社会人になってもその傾向は治らず、出社後にパンを食べていた時期があります。それを見た上司が、ある日「そのドーナツは君の朝めしか」と、僕に問いかけました。話しぶりに、暗に咎めたような気配があったので、
「それならあなたが勤務中に食べるお菓子は何ですか?」と言いたいところを僕はぐっと堪えて、翌日から腹が空くのを我慢する羽目になりました。
一日三食の中で最も大切なのが朝めしであることは、今さらいうまでもないことです。齢三十を過ぎて健康が気になり出して、にわかにジムに通い出したことは前に書きましたが、これに加えて、近頃僕は朝に麦飯を食べるようになりました。卵と一緒に食べれば、食パンなどよりも体に良いこと素人にも明らかで、体調は以前よりも確かに優れているようです。そればかりか、上司の目を盗んでドーナツを食べる必要がなくなって、職場での人間関係も円満になったくらいです。
独り暮らしもまもなく12年。生活術は大方身についたから、僕は最早嫁いらずだと言うと、両親はいつも苦い顔をしています。まさか本当に嫁はいらないと心に決めてしまったわけではありませんが、せめて朝めしくらいはちゃんと食べて、生活の芯は保っておきたいと、僕は思っています。
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