ベビーカーを押して電車に乗り込むと、乗客の視線はいっせいに幼い娘の姿に注がれる。微笑みかける人、じっと顔を見ている人、チラチラ目を向ける人。見られているのは僕じゃないのに、その間、何とも言えないプレッシャーを感じる。
人の視線には、すごい力がある。旅をしていて、そう強く感じた国がインドだった。
インドでは、いつも強い視線に耐えながら旅をしなければならない。鉄道に乗っていても、街を歩いていても、食堂でご飯を食べていても。行く先々で、心の奥をのぞき込むような視線を向けられるのは、けっこうな重圧だ。
どうしてそんなに見つめるのか。僕が異邦人だからか。大きなバックパックを背負っているからか。まさか、金持ちに見えるからか。
日本人的な発想から思いつく理由は、どれも当たっていないように思う。
インドは多民族国家で、異邦人同士がむりやり一緒になっているような国。僕以上の大荷物に体を埋めている人はたくさんいるし、貴金属を身につけた成金族も珍しくない。
インドには、日本人には理解の及ばないものや出来事があふれている。全土に数十万人といわれる
サドゥーのごときは、その典型だ。彼らを突き動かしているのは、インドの長い長い歴史と深遠な哲学、それに、10億を超える人々の思い。
すると、あの心を見透かすよう視線も、インドの偉大な神秘が生み出した賜物と思うよりほかはないのかもしれない。それが、旅人を引きつけて止まない魅力なのだけれど。
<<続きを隠す