「出逢い」に鈍感であってはいけません。最近、それを痛切に感じています。旅は出逢いの連続。たまたまバスが一緒だった。飛行機の席がたまたま隣だった。ボートを降りたメコン河の岸辺に、たまたま夕日を観に来ていた(笑)。全部偶然のようですが、旅人同士の敏感な心理は、それを想い出深い「出逢い」に変えてくれるものです。
旅の途中に限らず、「出逢い」は、日常にもたくさん転がっています。でも、日常の出逢いは、よほど注意していないと見過ごしてしまうことが多い、と思います。微かな兆し に、即座に反応する鋭いアンテナを張っておかなければ、貴重な出逢いをみすみす逃してしまいます。
論客・谷沢栄一は、その著書『回想 開高健』の最後に、「その、開高健が、逝った。以後の、私は、余生、である。」と記しました。二十歳過ぎに出逢って以来40年近くに及ぶ谷沢と開高の交流は、カミソリの上を歩くような、鋭敏な化学反応の連続です。出逢いは、出逢った後にそれを育てる作業があって初めて、生涯の出逢いとなりうるのです。
ちなみに、今は絶版となっている『回想 開高健』を僕に引き合わせてくれたのは、数年前にネパールで出逢った、僕の敬愛する旅仲間。僕にとっては、これからも長く育てていきたいと願う、出逢いのひとつです。
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