日本人は小粒になった、あるいは若者が幼稚になった、というのは最近のことではありません。それに反して、幕末維新の時代は歴史的人物が雲霞のごとく現れて、新日本を創造したと、巷間よく言われてきました。以来百数十年、日本は豊かになって、その結果日本人の「脳力」は極端に劣化していると、寺島氏は著書の中で警鐘を鳴らしています。
日本人の「脳力」を考えるくだりで語られる、中国の作家魯迅と、彼が仙台の医科専門学校に留学した時に出会った、藤野先生とのエピソードは印象的です。
時、あたかも日露戦争の真っ只中、中国人蔑視の風潮が世間に蔓延していた頃のことです。日本語が覚束ない魯迅をみた藤野先生は、周囲の目を気にも留めず、授業の度にノートを朱筆で添削して、悩む彼を励ましました。魯迅は、文学に志して仙台を去った後も、常に藤野先生の恩を忘れず、「惜別 藤野 謹呈 周君」(周は魯迅の本名)と書かれた写真を机の前に貼って、終生勇気の源としたと、小作『藤野先生』に記しています。
魂を揺さぶられるような人物との出逢いがなくなって、自己の未熟ぶりに気づくことがなくなって、したがって日本人は「脳力」を養う機会を失ったと、寺島氏は言っています。歴史に名を残すような人物ではない、ただの市井の人に過ぎなかった「藤野先生」の、ごく自然な配慮が、1人の中国人留学生の心を支え、今も日中友好の礎となっていることに、昔の日本人が持っていた「脳力」を見るのです。
先日亡くなった祖父は、最期の床についてからも、看病で付き添う者に毎朝新聞を読んで聞かせるように頼んでいたそうです。途中読み間違えたりすると「いい加減に読むな」と叱りつけて、最後は看病する者が事前に勉強していかなければならなかったと、母は話していました。
産まれてこのかた、豊かな暮らしをしてきた僕に、そんな揺るぎない「脳力」が身についているのかは、心許ない限りです。自分などまだまだ未熟だと、藤野先生と祖父の話を聞いて、僕は嘆息しています。
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