「僕の国語の師匠」と前回のコラムで書いた山本夏彦翁は、知る人ぞ知る稀代のコラムニストです。大正4年生まれ。戦後、建築雑誌『室内』を創刊し、同誌に「日常茶飯事」、『文藝春秋』に「愚図の大忙し」、『諸君!』に「笑わぬでもなし」、『週刊新潮』に「夏彦の写真コラム」を連載しました。
養老孟司の本にその名を見つけて、初めて読んだのが『日常茶飯事』(新潮文庫)です。昭和30年代に出された本ながら、辛辣な毒舌と絶妙なユーモアで世相と風俗を斬るそのコラムは、どれも爽快でした。
師匠といいながら、僕は夏彦翁に会ったことはありません。ばかりか、知ったのは没後のことです。「故人と友になることならわけはない」と翁は言っていたので、それなら弟子になろうと勝手に思ったのです。
その文章はストレートで、それでいて所々に難しい言葉が散らしてある。翁はそこで読者をつまずかして、「敗者復活」と称して床しい言葉を蘇らせます。
60歳も歳の違う夏彦翁のコラムに、こんなに共感できるのはなんでだろうと僕は不思議に思っていました。でも、最近その理由に気がつきました。夏彦翁の言葉は、僕の最も
尊敬する祖父の言葉に似ているのです。いくら時代が変わっても、絶対に変わらないもの。わが祖父も不肖の孫を前に、いつもそれを語っていたように思います。
この正月故郷に帰ったとき、祖父の書棚を眺めていたら夏彦翁のコラム集『世は〆切』(文藝春秋)を見つけました。なんだ師匠と祖父はすでに友だったかと、弟子であり孫である僕は、ひとり莞爾として笑いました。
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