漱石の“猫”なら、麦酒に酔った末に烏の勘公が行水に使っている水がめに落ちて死んだはずだと、名作「猫」を読んだことのある人は誰でも知っているでしょう。それが、三十有余年の後にその水がめから這い上がってきて、ドイツ語教師五沙弥先生の家に住み込んだらしいということは、知らない人の方が多いかもしれません。
『贋作吾輩は猫である』を書いたのは、漱石の弟子、内田百??。近代日本文学の金字塔『吾輩は猫である』に、堂々と「贋作」の字をつけたところが気に入って、僕はこの本を手にとりました。“贋作”を読むのだから、“真作”にも敬意を表さずばなるまいと、“贋作”の前に漱石の「猫」を読み直しました。
十数年ぶりに味わった「猫」は、日本語の深奥を余すところなく発揮した、文字通りの傑作です。漱石は英文学の教師ですが、多くの漢詩を遺しているとおり、英語などより漢籍の修養が深い人で、「猫」のリズム感と泉が湧くような言葉の数々は、現代作家にはちょっと真似のできないものです。
水がめの中で三十数年を過ごして、再び人間世界に戻ってきた猫は、さすがに年の劫で穏やかに構えています。漱石の猫は、人間以上の見識を備えていると自ら恃んで、人間界を痛烈に風刺しますが、百??の猫は五沙弥先生と友人達の会話をのんびりと聞いている風です。時々、漱石の「猫」の場面を回想するシーンがあって、百??の“真作”に対する敬意が読み取れます。“真作”を読んでから“贋作”に向かうと、味わいがより深まるようです。
学生時代、大学の図書館の前に住み着いた一匹の猫がいました。野良のくせにまるまると肥えていた彼は、来る人来る人に猫なで声で食べ物を求めては、もらえないと解ると途端にそっぽを向いて去っていきました。
人の言葉は喋りませんでしたが、彼も腹のうちでは漱石の猫のように、人を見下していたのかもしれません。
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