2005.09.28 Wednesday
外国を旅していると、思わぬことで日本との違いに気づくことがあります。新聞やテレビが絶対に教えてくれないこと、それでいて、その国と日本との違いが如実に表われていること。旅は、そうした身近な違いを知ることの連続です。
僕がはじめて一人旅をしたのは、アジアで最も貧しい国のひとつ、ネパールです。最初の旅だけに、その時のインパクトは、今でもひときわ大きく残っています。大通りを闊歩する水牛、排気ガスが充満するデコボコの往来、誰彼となく声をかける物売り…。見るものすべてに驚いた、忘れられない体験です。
さて、僕が最初の旅で感じたかの国の「貧しさ」はたくさんありますが、それを特に実感したのが、店でもらう買い物袋。日本でいうレジ袋のことです。日本で出回っているレジ袋と比べて、ネパールの買い物袋のなんと弱いこと。缶ジュースの2本も入れて持ち歩けば、すぐにノビてしまうようなシロモノです。
普段スーパーでもらうレジ袋には、日本の豊かさが表われています。と同時に、カトマンズで手にした買い物袋には、ネパールの抱える切実さが出ています。レジ袋のような些細なものにまで金をかける日本と、そんな些細なことには金をかける余裕のないネパール。
たかがレジ袋ですが、そこに、埋めようのない大きな隔たりを、僕は感じるのです。
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2005.09.24 Saturday
東京ビックサイトで開かれている「旅行博」に行ってきました。世界110カ国から政府観光局が来てPRをするほか、旅行会社、航空会社がブースを作って情報を発信するイベントです。海外旅行好きの日本人らしく、広い会場はものすごい人出でした。
今年行きそびれたインドのブース内では、ちょっとした広場を作って、大音量の音楽で庶民的な踊りを披露しています。どこからか漂うお香の匂いに、遠いインドの光景が甦ります。
去年マハーバリプラムに行ったのは、ちょうど祭りのある時期でした。祭りの夜に、ベンガル湾に面する砂浜にステージを作って、地元の若者が入れ替わりダンスを踊るイベントがありました。インド音楽のことは詳しく知りませんが、日本の演歌でいうこぶしのような、妙なヒネリがフレーズごとに利いていて、ダンスをするのには向いています。インドの映画といえば、見せ場はダンスと決まっていますよね。
中近東のブースでは、イランの情報が充実しています。観光地には事欠かないイランは、地域によって、様々な旅ができます。去年の地震で崩壊したバム遺跡は惜しいことをしましたが、ペルシアの都イスファハン、世界遺産ペルセポリス、イスラムの聖地マシュハド、高原の町タブリーズ、文化都市シーラーズ…。2、3ヶ月かけないとまわり切れないほど魅力的な国です。
それから気になったのはイエメンのブース。中世アラビアをそのまま今に伝えるサナアには、いつか行ってみたい。シリアのダマスカスや、同じシリアの石鹸で有名なアレッポのスーク(市場)は興味索然たるものですが、サナアのスークもきっと面白いでしょう。
何回も旅をしたつもりで、知らない国は、まだまだたくさんあります。これからどれだけの国を、自分の目で見ることができるかと、想像ばかりが膨らみます。
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2005.09.23 Friday
カトリーナの次はリタだそうです。女の子の名前ではありません。恐ろしいハリケーンのことです。カトリーナにやられたニューオーリンズの街を見ると、これがアメリカかと思うような光景です。死者の数はいまだに特定することができません。
日本も台風の通り道です。毎年いくつかの台風が列島を襲いますが、アメリカほどの被害は出ませんよね。昔は、伊勢湾台風をはじめ、ずいぶん被害の大きい災害があったと思うのですが、この差は何でしょう。
それは、きっとインフラが格段に進歩したからだと思います。個人の住宅も含めて。テレビでは、ダムはいらない、道路はいらない、橋はいらないという話ばかりですが、逆にインフラが全くなかったら、相次ぐ台風にどれだけの被害があったか分かりません。
最近読んだ塩野七生氏の本には、ローマ帝国を支えたのは、支配地域に張り巡らされた石畳の街道だったと書いてあります。(『ローマから日本が見える』(集英社))ちなみに日本のインフラについては、竹村公太郎氏の『土地の文明』(PHP研究所)が参考になります。
発展途上国を旅していると、日本がどんなに便利な国かがよく分かります。ムダはできるだけ無くさなければいけませんが、何がどこまで必要かを、しっかり考えなければいけないと、ハリケーンの映像を観て思いました。
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2005.09.21 Wednesday
まもなくクールビズ終了です。今まで何度か試みて定着しなかった軽装キャンペーンは、総選挙中も総理みずからクールビズで戦うほどの徹底ぶりで、すっかりおなじみになりました。地獄のような夏を、少しは快適に過ごすことができたと、世のサラリーマンにもおおむね好評だったようです。
クールビズ成功に気を良くして、次はウォームビズだと、政府は言い出しました。クールビズはそもそも温暖化対策だそうですが、温暖化対策ならウォームビズはその4倍以上の効果があると、環境省は言っています。実は、1ヶ月も前にロゴマークを決めて、準備は万端ととのっています。HPでは、クールビズと並べてPRに努めています。某シンクタンクも、クールビズをはるかに凌ぐ経済効果があると言っています。
2匹目のドジョウを狙ったこのキャンペーンが、ヒットするかどうかは分かりませんが、僕の職場に、霞ヶ関から協力の依頼があることは確実です。そうなれば室内の気温は20℃にして、政府に倣って「ウォームビズ」を奨励することになるでしょう。
けれど、クールビズさえおぼつかないサラリーマンにとって、ウォームビズとは無理な注文です。クールビズに取り組めと言われてネクタイを取るにとどまった人が、ウォームビズをせまられてどんな衣装にするかは、悩ましい問題です。
クールビズ去ってスーツの季節が到来するのが楽しみですが、ウォームビズのゆくえも気になるところです。
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2005.09.20 Tuesday
「吉田松蔭がこう言ったそうです、人間には5つの力が必要だ、念力、信力、精進力…」とかなんとかいいながら、今回衆議院に復活した鈴木宗男氏がトレーニングをしている姿がテレビに出ていました。宗男氏いわく、その5つの力に、僕は体力を加えたい云々。
宗男氏が復活したことについてはともかく、体力はどうしても必要だということを、僕は最近つくづく感じています。体力は、ただ寝て起きて会社に行ったくらいでは落ちる一方で、歳をとるごとに、それは加速します。初めはよもやと思いますが、やがて衰えは隠せなくなります。
月曜から始まる一週間が、木曜くらいには何だか辛いと感じるようになったのは、もう3年も前のことです。出勤するのが辛いのはきっと暑いからだろう、涼しくなったら楽になるだろうと思っていたところ、秋になっても冬になっても変わらずじまい。以来、僕は体力の衰え知りました。
宗男氏ではありませんが、体力は身につけるものだと考えて、僕はジムに通っています。もう8ヶ月になりますが、通いはじめてから一週間が楽にこなせるようになりました。
本当はあんなところに行きたくはないのですが、歳をとるにまかせていては、好きなスーツも着られなくなる、ハードな旅はできなくなると、いやいやながら、僕は体を鍛えています。
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2005.09.17 Saturday
僕が日本語を学んだ本は数々ありますが、近ごろ特に好んで読むのが山本夏彦翁のコラム集です。工作社を主宰して、建築雑誌『室内』を世に出し続けた、当人の言葉を借りるなら「編集兼発行人」です。
「何用あって月世界へ」「テレビの正義を笑う」「悪いのはいつも他人」「偽善は常に正義を装う」「水清ければ魚すまず」「政治家だけが極悪人か」「すべてこの世は領収書」「世間知らずの高枕」「平和な時の平和論」
夏彦翁はタイトルの名人です。タイトルを見ただけで、読まなくともその内容を推察することができます。世の中の不合理をズバリ一言で衝いて、それに続く切れ味鋭い文章で、うさんくさい常識の嘘をえぐり出します。僕はそのグッド・ユーモアに魅せられて、『日常茶飯事』以来、夏彦翁の愛読者になりました。
夏彦翁は、誰にでも分かる簡単な言葉で語りながら、所々に含蓄のある言葉を用いて、読者を立ち止まらせて莞爾とする名文家です。そのコラムはストレートですが、緻密に計算された文章であることが、読む者にはすぐに分かります。
読むたびに新しい発見がある作品は、世の中にそう多くないものですが、夏彦翁のコラムは、何度でも読んでみたくなるものばかりです。
皆さんぜひご一読を。
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2005.09.14 Wednesday
ベンタイン市場から市民劇場へと延びる目抜き通りを歩きながら、僕は、往来を流れるおびただしいバイクの奔流に呆れかえった。朦朦たる排気ガスがあたりに立ちこめて、ベトナム人でもマスクをしているのが大分ある。
往来の密度において、サイゴンは世界一といっていいだろう。市内中心部の公共交通機関がバスのみという事情ゆえ、すべての人間が往来に押し寄せて、朝から晩まで大混雑を呈している。しかも、車一台に対するバイクの割合は20台くらいで、2人乗り3人乗りも珍しくない。荷物を山に積み上げて、フラフラになりながら走っているのもある。
これだけの人間が、いったい何用あって、どこへ向かうのかというくらいの、とにかく膨大な数のバイクが1日往来を埋め尽くしているのだが、これが事故もなく新陳代謝して行くのかというと、やはりそうでない。交通事故の割合は日本の数倍に上るとガイドブックにはあった。
外国人にとって、サイゴンの往来を歩くのは一種の冒険事業だ。T字路や十字路などには信号のないところも多いから、途切れのないバイクの流れを縫うようにして渡る。しかも路上では車両優先で、横断中は無数のバイクが歩行者目がけて向かってくる。往来の真中であまりマゴマゴしていると、ただちに轢き殺されないとも限らないから、横切る時は年中命懸けだ。
これに加えて、サイゴンは引ったくりの類が常に歩行者を狙っている。近年は特に治安が悪化していて、泥棒天国と言う者もあるくらいだ。多くはバイクに乗って、歩行者を後ろから襲って荷物を強奪する。歩行者は、事故による生命の危険と、強盗による持ち物の危険とを警戒して、1日歩く頃にはクタクタになってしまう。
アジアを旅していると、日本の往来の整然たる光景が懐かしくなる。それを思わせる最も混雑の激しい町がサイゴンである。
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2005.09.12 Monday
メコン河沿いの汚い食堂で昼飯を食べているところへ、僕の旧友がやってきた。4年前にベトナムを旅した折、僕はこの町に来て、市場を見学したり、ボートに乗って中洲に浮かぶ島に出かけたりしたのだが、その時に色々の世話妬いてくれたのが彼である。
サイゴンからバスに2時間。メコン河の河口近くに、ミトーという町がある。その時僕を助けてくれた旧友が、今もこの町に住んでいるというので、僕は一日バスに乗って会いに行くことにした。どしゃ降りの雨をおしてバスがミトーに着いたのは1時過ぎ。ここからバイタクで町へ向かう。
4年の間に、ベトナムに想像以上の変化を遂げる。旧友が経営していたレストランも、すでに洒落たカフェに変わっていた。あきらめていた所へ、彼を探しているのを見たベトナム人が電話で呼んでくれて、僕らは再会を果たすことができたのだ。
旅をしていて何が嬉しいといって、旧友に再会するほど幸せなことはない。遠い距離を隔てて暮らしている者同士が、偶然に出遭って時を経て再会を果たす。ここに、旅の大きな魅力がある。
たった2時間の再会だったが、彼は自宅に招いて食事をふるまって、あらん限りのもてなしをしてくれた。この国に三度訪れた時には、真っ先に会いに来なければならないだろう。
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2005.09.10 Saturday
かつて貧しかった国も、発展するに従って、国民の間にはしだいに余裕が生まれてくるものだ。戦争で国土を目茶々々にされたベトナムも、80年代後半の経済自由化以来、空気が一新して、日本に続けとばかりに日々の進歩に忙しい。殊に日欧からの観光客が大挙してやってきて、この国に膨大な外貨を落としていくようになった。
サイゴンから東にバスで3時間あまり。小さな漁村が点在するに過ぎなかったムイネーの浜辺は、近年、外国資本が入った一大リゾート地になった。北のニャチャンほどではないが、サイゴン近郊のビーチリゾートとして、ベトナム人および外国人観光客の人気を博しつつある。
ムイネー村とそれに隣り合ったファンティエットの町は、魚醤の産地というほか、町としては何の見処もない場所だ。浜辺沿いに一直線の往来が延びて、それに沿ってバンガローやミニホテルが建ち並んでいる。
往来でバイタクが頻りに声をかけてくるのは、サイゴンなど大都市と一般だが、その商売気においては比較にならぬほどの穏やかさだ。観光客が増えるにつれて、町の住民がスレてくるのはどの観光地も免れないが、ムイネーには、まだ古き良きベトナムが残っている。
宿の従業員や食堂のボーイなどの働きぶりは、働いているのだか遊んでいるのだか、ちょっと判断がつきかねるほどのんびりしている。が、そこに、アジアの田舎特有の鷹揚さがあって、骨休めに訪れた観光客にはかえって好もしく映る。
たまに来る観光客のわがままとは言え、この鷹揚さを、いつまでも失わずにいてほしいと思う。
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2005.09.08 Thursday
シトシト降り続く雨が、見上げるような街路樹の梢を濡らしている。南国はスコールがザッと降るくらいだろうと思っていたが、日本の梅雨のような、こんな雨もあるらしい。南国に似合わない灰色の重たい雲が、空一面を覆っている。
サイゴン到着の旅人が、まず出食わすのがタクシー運転手の攻勢だ。ひと昔前は、玄関前に運転手が雲霞のように待ち構えていて、相場の何倍の料金をせしめるべく客を奪い合っていたものだ。それも最近は専用の乗り場が設置されたとかで、それぞれ自分のタクシーに乗って、キチンと乗り場に整列している。
ほかの旅人の後について、僕も乗り場の列に並んで、まもなく車に乗り込んだ。車の窓から4年ぶりに眺めるサイゴンの街は、カラフルな建物やガラス張りの商店が増えて、全体がちょっと小奇麗になった感がある。樹齢何十年という並木の往来は、商業の町でありながら、この町に独特の趣を与えている。その往来を夥しいバイクの群れが流れる様子は、サイゴン名物たるに背かない。
運転手に法外な料金を請求されることもなく、僕は、安宿が集まるデタム通り辺で車を降りて、宿探しを始めた。4年前には薄暗かったこの通りの鮮やかなネオンに、サイゴンの4年分の進歩が輝いている。
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