このところ『アラビア紀行』を連載中ですが、この前故郷に帰って改めて思ったことがあったので、今日はそれについて書いてみます。旅で感じたことにもつながってくることだし、何よりも都市に住んでいると知らない感覚だなぁと思ったものだから。都市至上主義に反論する意味でも、書いてみようと。
今、内山節さんの『「里」という思想』(新潮選書)を、感心しながら読んでいます。本の内容にはここでは触れませんが、帰省して同じ事を感じることができた。それは一言で言うと、故郷には昔から連綿と続いてきた伝統と文化があって、自分はどうあがいても、その継続の上に生かされているということです。
何だか漠然としていて、よく分からないですね(笑)。例えばこんなこと。
明治時代の日本は、「坂の上の雲」を追いかけて西欧列強に互していこうとした時代、と一般には認識されています。封建社会を脱して近代化が急速に進んだ時代です。でもそれは、自分にとって身近な歴史とは言えません。自身との直接なつながりは感じられない。
しかし、100年前の故郷の光景と考えた場合、明治時代は俄然身近なものになります。それは、自分の祖父母の父母(つまり曾祖父母)が観ていた光景なのです。曾祖父母なら会ったことはなくとも、自分にとっては無関係ではありません。
例えば僕の曾祖母の実家は、土間にむしろを敷いてわらの布団で寝るような家だったとか、貧しくて学校にも通えず、したがって字も読めなかった、そんな話は当時この辺りでは珍しくなかった、と聞けば、明治の昔の故郷が彷彿と想像されてきます。
今は立派な橋が掛かった寒河江川には、もちろん橋などはなくて、舟で人を渡していた。橋のたもとに立つ家は、名字で○○さんではなく、今も「舟場」と呼ばれています。屋号と同じ意味合いですね。
町内にある母の実家は江戸時代から続く名家で、今の家は100年来の建物です。僕は故郷に帰るたび、先祖が100年前に建てた家に入って、その歴史を目の当たりにしています。
明治の昔は、故郷では今もそこかしこに生きているのです。
都市にもそれはないではないけれど、都市に住む大半の人にとって、その土地の歴史を身近に感じることはありません。都市主義はつまり個人主義で、伝統や文化という「しがらみ」から「解放」された場所に現れたものです。自由で素晴らしいのだけれど、時に浅はかさを感じることがあります。
伝統や文化と都市主義、どちらも良い面と悪い面があって、優劣をつけるべきものではないのだけれど。
でも、今までいろんな国を歩いてきて魅力を感じたのは、決まって、日本とは全く違った歴史と伝統の末に存在するモノやコトに出会った時なのです。自分も魅力的な人間でいるためには、故郷で受け継いだ歴史と伝統を大切にすることを、忘れてはならないのだと思います。
<<続きを隠す