2006.08.21 Monday
モロッコの一大商業都市マラケシュの名物たるフナ広場は、古くから無数の外国人や内国人、サハラ砂漠及びジブラルタル海峡を超えてきた各国商人が流れ込んで、文化の坩堝を造り出した、その髄ともいうべき場所である。
スークの入口にあって昼間からそれなりの人出はあるが、フナ広場の夜の光景は、モロッコ旅行のハイライトと言われるだけに興味索然たるものだ。
キャバブやハリラやその他代表的モロッコ料理の屋台が建ち並び、朦朦たる煙を上げたかと思うと、様々な類の大道芸人がそれぞれの芸を競い合う。広場で大道芸を眺める人垣を歩いてフナ輪巡りを楽しもうと、僕のガイドブックにも下手な洒落が書いてある。
ヘビ使いが奇妙な笛の音を響かせるその横で、ベルベルダンスの一団が妖艶な舞いを舞っている。アフリカに特有の、心臓の鼓動のような打楽器の音に合わせて派手に踊っているのもある。
しかし、これらの芸に惹かれて近づいて、写真の1枚も撮ろうと思うのはとんだ心得違いだ。芸人に無断でフラッシュを焚いた者は間髪入れずに芸人一味に捉まって、法外な金を要求されるくらいがオチだろう。
フナ広場を取り囲む建物は、いずれも屋上がカフェになっていて、広場の全景を眺める捷径だ。ここに陣取って、屋台から上がる煙と大道芸の人垣から聞こえる喧騒を肌で感じるのはモロッコの旅に欠かせない経験である。
その昔、フナ広場は公開処刑場だったという。この広場の名称「ジャマ・エル・フナ」とは「死者たちの広場」の意だとかで、呼び名にも昔の名残をとどめている。シテみれば、連夜の広場の賑わいは、無数の死者の魂を慰める鎮魂の声なのかもしれない。
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2006.08.18 Friday
僕を乗せた列車が、うねった大地を一路マラケシュへひた走る。収穫を終えた麦畑が地平線の向こうまで広がって、乾いた空と鮮やかなコントラストをなした光景を眺めながら、僕はついにアフリカまでやってきた感慨を思った。
14回目の旅にして初めてのアフリカ大陸。インド行きを断念したとはいえ、これも何かの因縁かもしれない
日本列島の13倍もあるというサハラ砂漠を抜けて、アトラスの峠を越えると、大西洋に向かった肥沃な平野が広がっている。その平野の真ん中にあって、古くから一大商業都市として栄えたのが、ここマラケシュである。1070年から200年の間、ムラービド朝とムワッヒド朝の都となって隆盛を極めた町だ。
マラケシュ鉄道駅前のハッサン2世通りを渡り、3番の市バスに乗ってしばらく行くと、高さ77mの高塔が見えてくる。マラケシュ市民が「クトゥビア」と呼んで、その美しさを誇るミナレットだ。
僕が目指す安宿外街は、クトゥビアの東側一帯に広がっている。いずれも1000円内外の、比較的質の良い宿が軒を連ねている。ハイシーズンには満室となる宿も多いと聞いていたが、僕はめでたく3軒目の、いかにもモロッコ風といった安宿に投宿することができた。
マラケシュのシンボルとして音に聞こえたフナ広場は、安宿街からは目と鼻の先にある。で、その北側一帯に展開するのがスーク(市場)である。その規模において世界一の称もあるだけ、スークには日用品から土産物、食品、金物、衣服、陶器、に至るまで様々な物が売られている。
赤土の壁の狭い路地を、時折荷車を引いたロバが馳せ向かうなどは、宛然たるアフリカの光景だ。スークの喧騒を聴きながら名物のミントティーでも飲めば、誰でも寒気がするほどマグレブ−日没する国−にいることを実感することができるだろう。
時計の針が午後4時を指した頃、彼方の空からアザーンの声が緩やかな風に乗って流れてきた。未だ衰えぬ太陽が、マラケシュの赤いスークを照らしている。
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2006.08.15 Tuesday
世界有数の文明国の、堂々たる国際空港に降り立つと、僕は途方もない大都会に迷い込んだような気がしてひどく落ち着かない。文明国といえば英国に行ったのみで、世界的大空港はトランジットで利用したことがあるばかりだが、そのトランジットが、途上国を旅してきた者には難事業だ。
パリ・シャルル・ド・ゴール空港に着いて、飛行機から移動のバスでターミナルの一角で降ろされて、東京から12時間のフライトを終えたばかりの僕は茫然と立ち尽くした。
この大空港は大きく6つのエリアに分かれていて、それぞれに夥しい数のゲートがある。僕が乗るカサブランカ行きのフライトは4時間も先で、案内画面にはいまだ表示がない。付近を歩き回ったあげくエール・フランスの係官を捉まえて、ようやく出発ゲートを突き止めることができたのだ。
カサブランカ行きのフライトが出るターミナルは、全面ガラス張りの洒落た建物である。パリの空港だけに、というわけではないが、ブランドの店が軒並みで、日本の団体客のようなのが多く買い物をしている。僕みたいな貧乏人はそんな店に用はないから、コンビニで一番安いミネラル・ウォーターを買ってきて、片隅のベンチに引っ込んでこれを書いている。
インドへの道を突然閉ざされて2週間。何の因果か、このパリの大空港を経由して、北アフリカ・マグレブの一国モロッコへ向かう。アラブ人とベルベル人が造った彼の国の真諦を、10日間の旅で心ゆくまで味わってみよう。
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2006.08.14 Monday
だったそうですね。
先週末から故郷に帰っていたので、ニュースで知りました。
この暑い日に、しかもお盆の行楽日にさぞ混乱したことでしょう。
都会は万能なようで、その実いかに脆弱なものか。
こんな時こそ思い知るべきです。
東京の電力自給率は、たったの8%しかないのだそうです。
毎日消費する電気のうち92%は他県から融通してもらっている。
でも、そういうことを知る都会人はほんとに少ないんですね。
電気に限らず、水も食料も東京はほとんど生産していません。
ちなみに食料の自給率は1%に過ぎない。
この大量消費を支えるのは地方、日本に数ある故郷です。
もっと田舎を大切に。
誰よりも故郷を愛する僕は、いつもそう思うのです。
さて、モロッコから帰国してだいぶ体力も回復してきました。
2キロ半くらい痩せた体重はまだ戻っていないけれど(苦笑)。
旅行中に書いた「モロッコ紀行」の連載を、近いうちに始めたいと思います。
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2006.08.09 Wednesday
モロッコから16時間かけて、おととい日本に帰ってきました。
アラビア語とフランス語ばかりで、英語もほとんど通じないところで10日間過ごしたので、言葉が通じるありがたさが身に染みています。
日本は、やっぱり素晴らしい国だね。
正味9日間の旅にしては、今回は移動の多いハードな内容になりました。
気候が厳しい上に食事にも苦労して、もうクタクタです。
金にシビアなモロッコ人との戦いにも神経を使いました。
スリやひったくりにも油断できないと聞いていたし。
出発前に「旅は挑むもの」と書きましたが、今回はかなり「挑んだ」印象があります。
特に砂漠への道のりは、ガイドブック「地球の歩き方」が「現地まで行って自分でどうにかしましょう」的な書き方でしかなかったので、まさに「挑む旅」になりました。
マラケシュなどの都市から数日で出かけるツアーもあったのだけど、全部パッケージされてしまった内容では面白くない。
で、ローカルバスを使って自力で砂漠付近まで移動。
運良く砂漠の目の前の村で安宿を経営するモロッコ人に出逢って、その宿からラクダで1泊2日の砂漠体験をしてきました。
あまりにハードだったので、もうしばらく旅はしなくていいな、という気がしています(笑)。
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2006.08.04 Friday
世界最大の迷宮都市といわれるフェズのメディナ。通称「フェズ・エル・バリ」といって、散策を楽しむには絶好の場所です。今日は金曜日で、ムスリムにとっては礼拝の日。辻々のスピーカーから、アザーンの声が響いています。
長い間ここはモロッコの都として栄えたところで、歴史的な建物もけっこう多い。メディナそのものが1000年の歴史を誇ります。非ムスリムはモスクに入れないのは残念だけど、メディナを歩いただけでその雰囲気を味わうには十分です。
名物のスークは、イランのイスファハンやシリアのアレッポのそれとも趣が違う雰囲気を持っていて、実に面白い。イランあたリのスークでは、シルクロードのその先に日本があるのだということを感じるものですが、さすがに北アフリカのモロッコまでくると、文化的な繋がりは皆無といってよさそうです。
残り少なくなった旅の日。お土産に名産のバブーシュやスパイスを買いに、これから再びスークの迷路を迷いたいと思います。
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2006.08.02 Wednesday
SAHARA wo nukete, kesa FEZ ni tuki masita.
chiisana mura TIHGHIR kara 3hours de SAHARA ni hairi,
SAHARA de 1night wo sugosu CAMER TOURS ni sanka.
hajimete miru SAHARA ha emo iwarenu hodo ni utukusi katta.
suna dake no sekai niha attou saremasu.
FRENCH no pasokon bakari de, yominikui kiji de siturei.
toriaezu buji no houkoku wo.
2006.07.30 Sunday
モロッコの一大商業都市マラケシュにやってきました。
フナ広場の喧騒はモロッコ旅行のハイライトで、
夕方になると屋台が軒を連ね、大道芸人があちこちで人垣をつくります。
シシカバブを食べながらこの喧騒に耳を傾けると、
ここはアフリカなのだな、という感じが、いやでも起こります。
マラケシュのスークは世界最大。
シリアやイランのスークともまた違った趣があって興味をそそります。
赤い壁の建物が並ぶ様子はいかにもアフリカ的。
僕を日本人と見ると、下手な日本語で話しかける奴がたくさんいます。
僕のガイドブックに、偽ガイドや詐欺師に注意とあるので、
日本語を話すモロッコ人には気をつけるにこしたことはありません。
マラケシュは本当に暑い町で、すでに僕はへばり気味。
なのに明日は、オートアトラスを越えてサハラへ向かいます。
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2006.07.26 Wednesday
明日からモロッコの旅に出かけます。
短期間でできるだけの準備はしたけれど、
どんな旅になるのかちょっと想像がつきません。
けれど、いろいろ考えるより実地にぶつかってみるに限る。
旅を楽しむコツは、この言葉に尽きます。
思いっきり挑んで味わったモロッコの真諦を、
現地から「旅のすきま」にアップしたいと思います。
2006.07.25 Tuesday
「砂漠を見ずして彼の国を見たと言うなかれ」
という言葉に触発されて、サハラ砂漠へ向かうことにしました。
モロッコには、日本人が想像するような砂漠−サハラの大砂丘があって、この国の観光のハイライトになっています。
見たことのない者には想像のつかない光景が、そこに広がっているというのです。
さて、砂漠に行くための情報収集も大詰め。
とは言っても、現地に行かないと状況が分からないものが多い。
バスの発着時間、直通便の有無、乗り継ぎ便の接続等々・・・。
地方に行くほどバスがボロくて、時間も不確定で、ガイドブックの情報もいい加減です。
限界はありますが、辺鄙な町で思わぬ足止めを食らわないように、なるべく多くの情報を集めたいと思います。
砂漠の町から短期間のツアーも出ているようだし。
モロッコで砂漠と同じくらい魅力的なのは、マラケシュのフナ広場とフェズのメディナ(旧市街)。
フナ広場は、アフリカの民族色豊かな大道芸人(?)と夥しい屋台で賑わうモロッコ名所のひとつ。
フェズは長い間王国の都だった町で、世界最大の迷宮と言われるメディナがユネスコの世界遺産に指定されています。
モロッコの魅力が凝縮された砂漠とフナ広場とメディナ。
それを見る日は、もう目の前です。
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